闇夜に忘れたもの


心と言うものは、生きるもの全てに在るものであり、偶然と呼ぶには相応しいものである。
だが、感情と言うものは、偶然で片付けるにはあまりにも哀しくて、勿体無いものであると思うんだ。



目が覚める。
いや正確には目が開いたというのが正しい。俺の思考は常に回っていて、"眠り"と言う本能を何処かに忘れてきてしまった。 だからそれに一番近い状態にしようと心を空にする努力はするが、未だ成功の兆しは見えてこない。
時刻は早朝、4時になったばかりだ。日の昇りが早い時期なので既に淡い光がカーテン越しに床を照らしていた。少しばかり同じ体制を維持していたので首に鈍い痛みが走る。 思考は回っている筈なのだが徐に立ち上がってあの場所に向かう自分に、考えなんてなかった。

水のせせらぎを肌で感じ、一つ深呼吸をした。朝の穏やかな静寂が包むこの空間では、己の足音が鮮明に響いた。
カンパニーの書庫に無い本はない、と断言してしまえる程の量があり、お目当てのものを探すのに一人では最低半日は掛かる。 それだから技術特化されたカンパニーならではの検索機能は完備している訳だが、たまには目的を持たずにふらりと一冊手に取るのも悪くはない。
ふと、瞳が霞めたほんの僅かな時に入った本。何を思うわけでもなく無心に手が吸い寄せられる。ぱらぱらと捲ると大分年季が入っているらしい、 黄ばんだ紙は所々破けていた。内容は御伽噺であろうか、小さな国の話らしい。そのままページを丁寧に捲りながら光の当たる椅子へと向かった。

「あ、クラウス!」
「.....................セト、」

不意に名前を呼ばれ、気配の無かった存在に事も有ろうか一瞬遅れを取ってしまった。彼女はいつもの隊服ではなく、 がらりと雰囲気が変わる純白のワンピースを着ていた。彼女のことだろう、"可愛いから"ではなく"着替えるのが楽だったから"だと俺は踏んだ。

「...何してるの、」
「いやー、早く起きすぎちゃってさ。二度寝できなかったから暇潰しに本でも読もうかと...」

水面に反射して、光が世界に飛び込む。空気を伝ってセトの声は儚く世界に響いた。そこには何だか無性に込み上げてくるものがある。いつからか、こんなに感じることが出来たのは。

「クラウスは?」
「殆どセトと同じかな。」
「普段サボるくせに本はマメに読むよね。」
「なに、低血圧なの?言葉が痛くて褒められてる気がしないんだけど...」

名前を付けるのは勿体無い。相応しいものは無いのだから。
枠線を越えて一歩踏み入るその先に、君は何を思うのだろう。そして俺は、何を返してやれるのだろう。

「...クラウスはさ、運命とか偶然とか頭に無いタイプだよね。」

彼女は時として何の脈絡も無さそうに言葉を投げる。だがそれは的確に的を射ていることを、知っているのだろうか。
頭に無い、それ以上に妥当な言葉は見つからなかった。信じる信じないの問題ではなく、きっと初めからそんな概念は無い。 そこまで器用に生きることはできていないのだから。これを冷めた感情というのか、俺にはそれすらわからない。

「...そうかもね、何で?」
「......私は、ちょっと信じてみたいから、クラウスも少しは考えてみてもいいんじゃないかなって思って。だってさ、」

その先に込められた言葉を聞くより前に、彼女の楽しく笑う顔が目に焼き付いた。彼女の手に包まれていた一冊の本、それは紛れもなく見覚えのあるものだった。
俺にもあるのかもしれない。そこまで頭が回るだけ何かが大きく変わったんだろう。いや、ただ失っただけなのかもしれない。

太陽を身体中に浴びながら、俺は笑って降参するしかなかった。











闇夜に忘れたもの
(だって、同じ本見つけてる。)